メキシコの大衆車ワーゲンビートル
ワーゲンビートルと言えばそのカブトムシに似たフォルムから世界で愛された車の一つでしょう。メキシコではVOCHO(以下ビートル→VOCHO)と言う愛称で親しまれている大衆車です。とくに首都であるメキシコシティでは以前、全てのTAXI(VOCHO)が街中をところ狭ましと走っていました。台数は減ったものの今でも現役で多くのVOCHOが活躍中です。
世界中で毎年たくさんの車が生産を続けている中、メキシコは何故VOCHOがこんなにもヒットしたのでしょうか?私がメキシコに住み始めた頃、黄緑色と白に塗り分けされたメキシコシティのTAXIを見る度にそんな疑問が頭に浮かびました。おそらく1934年当時のドイツの政策だった国民車構想である、一部の裕福な階級のためでなく、国家を支えている国民大衆のためにこそ自動車を生産すべきだという思想がここメキシコに花を開花させたのではないかと思います。今となっては安価で購入できる優れた車が増えてしまい、影を薄めてしまいましたが、以前はダントツのコストパフォーマンスでメキシコ国民を魅了し、愛されるが故にたくさんのコピーされたパーツが販売されていました。もしかしたらコピーされたパーツで1台VOCHOが組み立てられるかも知れないほど出回っていました。
1938年にドイツに生まれた車がメキシコに渡り、メキシコにてメキシコ製のVOCHOが生産されるようになったのは、以前の日本人もそうだったように、移民団がメキシコに渡り、この地に根付いて行くのにとてもよく似ているように思います。VOCHOはメキシコ以外の国でも生産され、世界20カ国以上に及びます。ドイツ国内の製造は1978年に終了したようですが、最後まで生産を続けていたのが、メキシコなのです。フォルクスワーゲン デ メヒコ取締役会長のラインハルト ユングの、最後のビートルのラインオフに際して以下のようなスピーチを残されています。「皆さんは自動車を生産していただけで なく、伝説を作り上げてくれました。その伝説はビートルを旅の友としたすべての人々の心にしっかりと生き続けるでしょう」このスピーチの中にあるように、この車は伝説であり、世界中の人に愛された世界に類のない大衆車なのです。
この歴史を作り続けて来たVOCHOは2003年7月30日にメキシコのプエブラ工場にて2,152万9,464台目のビートルを見送り、メキシコ時間の午前9時5分、VOCHOの生産ラインがその稼動を停止し、自動車史にほぼ68年間の長きにわたって綴られてきたサクセス ストーリーに終止符が打たれました。しかし、今でもメキシコには多くの現役VOCHO達が走り続けています。これからもメキシコに根付いたVOCHO達は我々の記憶の中に新たな歴史を作り上げていくことと思います。