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過去と未来の間

​ミクストメディア

ハラパ現代美術ギャラリー(ベラクルス、メキシコ)

2018

グアダルーペの条件

キャンバス布にアクリル

IBMかわさき市民ギャラリー(川崎)

2009

メキシコ・他者との往還の旅-矢作隆一の「グアダルーペ」について/川崎市岡本太郎美術館学芸員 仲野泰生

日本の美術家で「メキシコ」に魅了された美術家は多い。思いつくだけでも戦前では、北川民次や藤田嗣治、阿部金剛らが。また、1955年東京国立博物館で開催された世界巡回の展覧会『メキシコ美術』展は、戦後日本の若い作家に強い影響を与えた。読売アンデパンダンで活躍し、その後コンセプチュアル・アートの代表的な作家となった河原温やシュール・ルポルタージュの代表的な作家で当時「佐久間ダム」シリーズを発表していた利根山光人は『メキシコ美術』展を観て感動し、メキシコに憑かれたようにして行ったのである。彼らを幻惑させた「メキシコ」とは何か。「メキシコ」の何がアーチストたちを魅了させたのか。そんな先達らの思いと通底しつつ、自分の中の「メキシコ」を求めているアーチストの一人がここで紹介する矢作隆一である。

今、私たちが暮らしている日本で「佐藤さん」「鈴木さん」という名前に出会うことは、多々あることだ。あえて意識して探し出さなくとも知り合いの名字の中から探すことは簡単にできる。同様に「グアダルーペ」という名前は、メキシコでよく使われている名前だそうだ。そんなもっともポピュラーな名前をあえて探すプロジェクトを矢作は思いついた。そもそも「グアダルーペ」とは聖母マリアがメキシコに現れたという奇跡からの由来らしい。1531年12月9日キリスト教・カソリックに改宗したインディオのファン・ディエゴの前に褐色の肌を持った少女(聖母マリア)が出現した。メキシコは16世紀にスペインに征服され、国民の約7割がメスティソ(混血)といわれており、現在も肌の色のヒエラルキーは存在する。壁画運動という芸術革命も含んだメキシコ革命が起こっても、そのヒエラルキーは現存している、哀しいことだが。

現在、アーチストとしてメキシコで生活している矢作が、この「グアダルーペ」という名前にこだわるのも、オルメカ・マヤ・アステカとつづきその後スペインに征服され、革命後もアメリカからのモダニズムに侵され続け、グローバリズムの波の中に揺れ動く「メキシコ」がこの「グアダルーペ」という記号から読み解くことができるからだという。

現代のメキシコ人の血の中には、いまだに地下水脈として、マヤ・アステカの歴史と文化が流れているような気がする。しかし、詩人オクタビオ・パスが言うように今のメキシコ人たちは、みな「仮面」を着けているのかもしれない。モダニズム(近代主義)と古代メキシコ(伝統)に引き裂かれて、仮面をつけて二重拘束(ダブルバインド)的な生き方をせざるを得ないからである。矢作が行っている「グアダルーペ」プロジェクトは、メキシコ人の「仮面」そのものであるとともに、その「仮面」を外そうという試みでもある。そして、日本人アーチストである矢作にしかできない手法なのではないだろうか。また、彼の「グアダルーペ」は、高度消費社会に生きる私たち日本人が、無意識につけてしまっている「仮面」の存在にさえ気づかせてくれるのではないだろうか。私たち日本人も縄文から江戸という非近代の歴史が血の中に流れていながら、ただ気がつかないだけなのかもしれないのだから。

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