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ザ・ピラミッド

メキシコのサルサを作るモルカヘーテを模した中国製のプラスティック製モルカヘーテ、造花、小麦粉

ベラクルス州立大学芸術学部附属ギャラリーAP(ベラクルス、メキシコ)

2013

偽の象徴

メキシコのサルサを作るモルカヘーテを模した中国製のプラスティック製モルカヘーテ、造花、小麦粉

オアハカ州立ベニートファーレス大学(オアハカ、メキシコ)

2013

水線のトレース

トウモロコシの皮、釣り糸

サルバドール・フェルナンド美術館(ベラクルス、メキシコ)

2013

2010年9月に襲ったカールはメキシコ湾岸に多大な被害をもたらした。ここトラコタルパンも例外ではなく街を流れるパパロアパン川が氾濫し、洪水を引き起こした。酷いところでは2m以上浸水したようである。今回展示を行ったMuseo Salvador Ferrandoはトラコタルパンの中心に位置している。ここの管理でもあるベット氏に話しを聞いたところ、正面玄関付近は1m20cm、美術館内は1m50cmほど水に浸かったと語っていた。この美術館に飾ってあった家具や絵画のほとんどが浸水の被害にあったのである。ボランティアにより数々の品々が修復されているが、現在も少しずつではあるが、修復活動が続けられている。その美術館内に今回の作品を展示して頂いたのである。メキシコを起源とするとうもろこしの皮を使って船を十数隻作り、天井から吊るした。床から船底までの高さを浸水したとされる1m50cmにした。すでに壁には浸水の跡は見当たらないが、その船の浮かんでいる位置を見ると、その下には展示物を船の位置には絵画が掛かっているのが見て取れる。災害から早くも3年もの月日が過ぎた今、この街は世界遺産登録15周年を迎え何事も無かったかのように時を刻んでいたのであった。

瓦礫のじゅうたん

東日本大震災の瓦礫2トン

C.A.J. Artist in Residence,埼玉近代美術館(埼玉)

2012

二人のメキシコの表現者—現実と民族誌的世界から/川崎市岡本太郎美術館  仲野泰生
私がメキシコに出会ったとき、メキシコはありとあらゆる多様な矛盾をかかえた姿で私の眼にうつり、私が自分の中に 縺れた糸玉のようなものとして持ち続けてきたように思えた個々の線や特徴を、洗いざらい内側から外へ映写してくれた ようなものであった。(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン『エイゼンシュテイン全集』1974年キネマ旬報社)
1920、30年代の欧米のアヴァンギャルドを指向するアーティストたちにとって、メキシコは彼らの憧れの地であった。例 えば『戦艦ポチョムキン』(1925年)で映画史に名を刻んでいるセルゲイ・M・エイゼンシュテイン(1898−1948)もメキ シコに憧れ、そして自分の中のメキシコ的なるものを発見した一人だ。そのエイゼンシュテインが最初に自身の表現として メキシコ的なるものに関わったのがジャック・ロンドン原作の『メキシコ人』(1920年)の舞台上演で、彼は衣装と舞台装 置を担当した。そしてメキシコとエイゼンシュテインの決定的な出会いが、メキシコ壁画運動の指導者の一人であったディ エゴ・リベラとの出会いであり、その邂逅とメキシコへの旅が、彼の幻の名画『メキシコ万歳』(1930年)の制作へと、エイゼンシュテインの中のメキシコ的なるものへの探求は繋がっていく。ところでエイゼンシュテインは、何故メキシコにこ だわったのか。 当時、近代主義に限界を感じていたアーティストたちに刺激を与えたのが、欧米の植民地政策(アフリカ、中南米、オセアニア等)から生まれた学問・民族誌学であった。エイゼンシュテインも他のアーティストと同様、メキシコ との出会いに、彼の中の野性(民族誌学)とモダンな魂(アヴァンギャルド芸術)の交錯を発見したのではなかったろうか。 

さてここまで描きながら私が、ふと思うのは、現在のメキシコは、エイゼンシュテインに影響を与えたような魅力を放っ ているのだろうかという事である。その一つの実証・答えとして、現代の日本の私たちに問いかけてくる二人のメキシコの 表現者の展覧会が開かれる。 

この二人とはメキシコのチアパス州で生まれたマヌエル・ベラスケスとベラクルス州在住の日本人・矢作隆一である。 ベラスケスは自分の中にあるメキシコを、スペインに征服される以前の時間とスペイン的なるもの(カソリック的なもの) を混在させながら、作品に現出させてきた。ベラスケスの制作はある意味で、彼のアイデンティティ探しといえる。作家自 身の中に内包し、混合している歴史・時間を、彼独自のデリケートな色彩や単純化された形象と多層的なマチエールによっ て探求してきたといえるだろう。この探求は近代人・エイゼンシュテインの内なるメキシコ的なるものとしての自己発見と 同様なものである。しかしエイゼンシュテインとベラスケスの決定的な差異は、ベラスケスが外側から見たメキシコではなく、彼自身の内包し、血肉化した身体を刻むことによってしかメキシコを確認できない作品であるということではないだろ うか。ベラスケス自身の肉体ともいうべき作品について少し述べてみよう。彼の作品には、スペイン以前のメキシコの民話 や伝説(動物、心臓、身体など)とスペインからもたらされた宗教であるカソリック(キリスト、教会、十字架など)が、モチーフとしてミックスされながら頻繁に登場する。そして最近ではモチーフがよりシンプルになり、強くなってきている。 例えば絵画や立体で、不思議な空洞を持つ箱や美しい文様を持った種子となって現われてきた(今回の展覧会でも紹介され るであろう)。今回の作品はメキシコの一人のアーティストの原点探しの旅がたどり着いた一つの回答を見せてくれるに違 いない。もう一人のアーティストは、現在メキシコで活動をしている矢作隆一である。矢作は日本人としてメキシコで暮らす中で、制作を通してメキシコ的なるものに向かい合ってきた。彼の場合は、近代化され尽した日本に生まれ、日本でアー ティストとしてスタートを切った。矢作はメキシコとは別の形で過去と現在が混在している日本で、「我々の在り方」(19 94年)という個展を行いながら、現在の自分の表現基点たる位置を探していく。その彼がメキシコで暮らし始めることで、 テーマがより日常や生活そのものからの発想になったのである。彼は日本で暮らす中で日常に埋没していく自分ではなく、 異質の時間が流れるメキシコの地で、日本人として仕事や家庭を持ち、毎日を過ごしていくことで感じた違和感と共感から 『グアダルーペを探せ』のシリーズ等(メキシコの聖母伝説から生まれた名前を追うプロジェクト)を制作した。 私は今回の矢作の『瓦礫のじゅうたん』の構想を彼自身の口から聞いたとき、この新作は日常や生活そのものから制作を続 けてきた彼が、2011年3月11日の東日本大震災で、日常がいきなり非日常へと変わらざるを得なかった日本の現実を、メキシ コから捉えた作品になるのではないかと思った。 メキシコには「アルフォンブラ デ アセリン」といっておが屑で道に絵を描く宗教行事がある。矢作はこのメキシコの宗 教行事に習い、被災地の瓦礫で日本の象徴である桜を描くという。自然の脅威である地震で破壊された建物の瓦礫を、春に咲く桜(これも自然である)に変える作品は、日常が破壊されて非日常となった結果を、作品を通じて現出させることで、 今の日本の現実を問う作品になるだろう。そして、この二人のメキシコからの表現者の作品を通じた問いかけに、答えてい くのは日本の現実に暮らしている私たちでしかないのである。

神に捧げよう

コカコーラの空き瓶、造花、火山灰、鏡

パリクティン火山アートフェスティバル2011(ミチュアカン、メキシコ)

2011

日常 永遠の一瞬/国際美術評論家連盟会員 小倉正史                                                

文化の異なる地域に住み、人種のちがう人たちのなかで生活するとき、人はだれでも自分が他者によって取り囲まれていると感じるだろうし、また逆に自分がそこでは他者なのだということを身にしみて実感するにちがいない。メキシコで生活と制作を始めたときの矢作隆一にとっても、そのような体験があったであろう。人と人との関係では相互に他者であるということと、そして、他者との関係のもとで自分が自分であるということだが、それは、日本にいたときも同じことのはずであった。だが、日本を離れて生活すると、そのことにあらためて気がつくのではないか。そして、他者との関係のうちにある自分の存在(矢作はそれを「縁」と呼ぶ)にまつわるものが、強く意識されるようになるのではないか。人と出会い、人との関係がつむぎだされる毎日の時間の流れのなかで、私たちは社会内の存在として生きているにちがいない。矢作隆一が確かめなおしたのはそのことであり、とくに、そうした他者との出会いや関係を継起させる時間の流れと、その流れのなかでの自分や人の存在について視覚化を試みるようになった。Kimura Bin 木村敏が「わたしはかねがね時間とは自己の別名にすぎないと考えるようになった」と言っていたこと(木村敏「偶然性の精神病理」、岩波学術文庫)が思い起こされるし、矢作の時間をモティーフにした作品もそうした考えに呼応するものであろう。だが、彼の作品はもっと簡明に、もっと直接的に、万歩計やカレンダー、時計や時刻表といった日常的な材料を用いて、人にかかわる時間を目に見えるかたちのものにしている。そこで強調されているのは、人が時間のなかで存在すること、つまり生きているということであり、そのことのかけがえのなさである。それが、どのように生きるのかという問題の提起につながるはずなのだ。印章を題材にした作品は、また別のことを考えさせる。日本の独自な社会的習慣として見ればそれまでだが、印章は人の存在の代理をする記号のような物体として、ある場合にはそれが代理をする人よりも重要になることに奇妙さがある。記号が人に取って代わってしまうのだ。人の存在を希薄化するのである。それが奇妙なことと受け取られなくなり、慣れてしまうと、どういうことになるのだろう。現実に存在する人よりも記号や代理物のほうが、社会的利便のために優先するということなのだ。たぶん、それと似たことが、人と人との関係にも起こっているのではないか。情報化社会は、遠くにいる人と人を音声や画像やメールなどでつなぐことは可能にしたが、そこで築かれる関係は、時間と空間を共有する生身の人と人との間で成立する関係とは別ものである。矢作隆一がメキシコで体験したような、他者の立ち現れにもとづく関係は、情報空間のなかでも可能なのだろうか。それとも「縁」を求めること自体が、今日の時代と社会からはずれたことになるのだろうか。ともかくも、肥大化し、パロディー化された印章が浮かび上がらせるのは、人の存在や関係のありかたの重要さを希薄にする現代社会のありかたなのである。

人生時計

1967年7月14日13:26分から現在まで何時間経っているかを刻む続ける時計

金沢市民芸術村(金沢)                 

2004

人生時計

1967年7月14日13:26分から現在まで何時間経っているかを刻む続ける時計

ハラパ彫刻公園附属ギャラリー(ベラクルス、メキシコ)

​2001

人生日めくりカレンダー

世界の主要8ヵ国G8の各国首脳それぞれの日めくりカレンダー(毎日、その日まで何日生きてきたか表示されている)

金沢市民芸術村(金沢)                 

2004

歴代総理大臣の認め印(ビールの大瓶サイズ)

御影石、ビールの大瓶カートン

金沢市民芸術村(金沢)  
2004

認め印 様

御影石、畳、座布団、紅白垂れ幕、木、布

藍画廊(東京)

1997

私は動いている

1997年7月14日からの毎日の歩数(万歩計)

金沢市民芸術村(金沢)  
2004

時間を見る

営団地下鉄線+都営地下鉄線の全ての駅の上下線の時刻表をニューヨークの時刻に変更し和紙にプリント、タイムカード、テーブル

入り口に置かれたニューヨークの時間に合わせたタイムカードにて入場時間と退場時間をチェックする

ベリーニの丘ギャラリー(横浜)

2000

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